2022.02.14 |
2000.02.14 塘路−茅沼 Mamiya645 1000S SEKOR210oF4N RVP(+1)
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C11の故障で急遽DE10代走となり、俄然注目を集めるようになった今年の「湿原号」。SNSに次々上がる力作を見て、久しぶりに道東の地に思いを馳せた。
釧網本線なんて一体いつ以来行っていないのだろう…。撮影での初訪問は受験直後のDE重連貨物、一番最近でも2005年の14系団臨か(笑)。
実に17年もご無沙汰のようである。今回色々と昔のポジを漁っていたらこんな1枚が出てきた。サルルン展望台からのC11「冬の湿原号」。
今回はこれをご紹介しようと思う。
学生時代、2月といえば北海道!が半ば合言葉のようになっていた。 1月下旬に後期試験が終わり、しばしバイトに勤しんで軍資金を調達したら建国記念の日あたりから新日本海フェリーで小樽に上陸。 夜行「オホーツク」で北見に乗り込み常紋峠での山籠もり修業が始まるのだった。 大学1回生の冬は金華駅から146KPまで歩くという蒸機時代の鉄ちゃんのような冒険をしてしまい、いたく反省した。 2回生になった2000年の冬は、免許持ちのロン隊長が駆るレンタカーでR39を往来した。機動性というのはありがたいもので、この日は北見地方は悪天候。 さすがに長期滞在型の鉄ツアーでは曇天の中頑張る気も起きないため、隊長の提案でテッパン晴れ予報の釧網本線に逃げることにしたのだった。 3年前に貨物を撮ったサルルン展望台に登頂。雪の少ない釧路地方だけに、かんじきなど冬装備を持っていなかった当時でもお手軽に辿り着くことができた。 完全氷結した塘路湖をバックにゆったりとカーブを描く二条の鉄路。現役蒸機の時代から変わらぬ景色の中に、間もなく緩急車を併結した14系がC11に牽かれてやって来た。 10日後、このC11は留萌線に場所を移して、連ドラ「すずらん」のロケのため旧客を牽引した。 もはや住んでいるのではないかというくらい在道していた我々も当然カマを追って転戦し、峠下の山中で雪と戯れていたのであった。 約3週間もの真冬の北海道でオール寝袋マルヨの鉄ツアー。20代前半、あの頃は若かった…。 |
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