2021.09.16 |
2001.09.16 長瀬−谷汲 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8
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今月で9・11同時多発テロから20年が経った。その10年後の2011年は東日本大震災、逆に10年前1991年はソ連崩壊。
世界では日々様々な事象が起きているので恣意的な切り取りに過ぎないと言われてしまえばそれまでだが、こう並べると我々の価値観を揺るがせる出来事が10年単位で生じているようにも見える。
それでは2021年は? と考えると、昨年来2年がかりになっているコロナ・パンデミックかと思っていたら、テロから20年のタイミングでアフガニスタンにタリバン政権が復活した。
冷戦構造が動揺・崩壊する一つの要因に「アメリカにとってのベトナム、ソ連にとってのアフガン」(アメリカは1965年からのベトナム戦争介入と失敗で威信が失墜し、
ソ連は1979年からのアフガニスタン侵攻が泥沼化して崩壊につながった)があるが、アフガンはアメリカにとっても鬼門だったようである。
世界の動きから目を転じて自らの活動を振り返ると、20年前の9月11日はバイト先の高速バス待合室のTVで飛行機がWTCビルに突入するのを目の当たりにし、 その晩は仕事を終えて帰ってからも一晩中ニュース速報を見続けた。 次の日の朝刊は一面ぶち抜きのテロ報道。学生の身ながら大変なことになったと思った。 しかし、不思議なことにそれから数日後、私はこれまでと変わらず平然と線路際に三脚を立てていた。それはそれ、これはこれ。 目の前では大学1回生の冬から通ってきた名鉄谷汲線が廃止を目前に控えている。西美濃の地に足を向かないわけにはいかなかった。 9月も半ばになると、俄かに日暮れの早さを感じるようになる。15時を回り、西日が低く当たりを照らすようになった。結城の築堤で下り電車の面ギラリを狙おう。 赤の発色が渋いコダクロームを装填したF4sに80-200oズームのテレ側一杯で勾配に挑む築堤を強調。間もなく遠方から吊掛モーターの唸りが響いてきた。 アメリカの報復宣言、国連安保理での集団的自衛権発動決議…世界が混沌に向かっていたあの頃、それでも600Vの里には変わらぬ日常の時間が流れていた。 |
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