Memorial GALLERY


 2021.07.22

2000.07.22 千代川−八木 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS

この日は長かった梅雨がようやく空けて久々の晴れ予報。早朝の山陽本線の貨物にセンゴックが入るという情報を得てブルトレ朝練も兼ねてさささ先輩とレンタカーで出撃した。 気づけば夏至から約1月、最難関の「彗星/あかつき」は露出が厳しかったが、狙いの貨物はバッチリエロ光線、「なは」も普通に撮れて第一目標は達成した。 現在なら、はやMission Completeで帰路に就くところだが、20年余り前の線路上は振り返るとオイシイ被写体の宝庫だった。 そのまま上郡から智頭急に抜けて、千種川沿いでキハ181の「いなば」を撮影。佐用から姫新線に転戦し、伊保川橋梁の俯瞰で姫路色のヨンマルを撮った。

さすがにずいぶん前のことなので、午後は一体何をしていたのか記憶は定かではない。 だが、社会人2年目のさささ先輩と大学3回生の私という貧乏コンビでは高速に乗って帰るという発想はなく、確かデカンショ街道経由で9号線に抜けた気がする。 実際日没間際の夕刻、千代川−八木のオーバークロスに我々は三脚を立てている。時刻表によれば、間もなく上り電車がやって来るはずだ。 丹波の地にはまだ銀色ステンレス電車が進出していなかった前世紀末、渋い光線を浴びて現れたのは、後方に西日本色を併結しているとはいえ、原型原色を先頭にした6連の115系であった。

何気ない日常も、とりあえずシャッターを切っておけばやがて貴重な記録になる。 現在世の鉄ちゃんたちは、やれ新潟だ岡山だしな鉄だと、「たかが」湘南色の115系を目当てに行脚を重ねている。 思い返せば、あぁあの時何で撮らなかったのか…と悔やむ事例は枚挙に暇がない。 しかしその一方で、軽々しいステンレス電車をファインダー越しに見送って10年後に後悔するかと言われれば、205系にも209系にも何ら頓着の無い私には「それはない」と断言する自信が(きっと)ある。



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