Memorial GALLERY


     2021.07.01

1998.07.01 美祢駅
 OLYMPUSOM−1 ZUIKO180oF2.8 KR

遡ること23年前、山陰に新たな魅惑の被写体が登場した。 宇部興産伊佐セメント工場から産出される石灰を中国電力三角火力発電所に運び、発電所で生成されるフライアッシュを再びセメント工場に送る、通称“岡見貨物”の誕生である。 美祢線〜山口線〜山陰本線経由と非電化路線を継走するため、先頭に立つのはJR貨物門司機関区のDD51。 しかも山口〜山陰本線内は重連牽引である。 それまで美祢線を賑わせていた石灰石輸送が終焉を迎え、西のデーデーに陰りが見え始めたと思われた頃に飛び込んだ朗報に、多くの諸兄ははやる気持ちを押さえられなくなっていたはずである。

折しもこの年の6月下旬、大学1回生だった私は、暇に飽かせて梅雨も真っ只中というのに最末期の浜田「出雲」を追って山陰西部を訪れていた。 当然ながら連日雨に降り込められる最悪のコンディション。 今と違ってワンアクションで感度が2倍・4倍と上げられるわけもなく、手持ちのコダクローム64とプロビア(+1)でISO64〜200の範囲内で苦しい撮影を強いられていた。 いい加減嫌になって益田以西に展開し、長門市から美祢線に乗り継いだ。風の噂では、今日から新しい貨物列車が走り始めるという。 夕刻美祢駅に着いてヤードを覗くと、職員の方々がDD51に手製のマークを取り付けて記念撮影をしていた。すぐに先回りして駅南端の跨線橋に陣取る。 間もなく「祝 中電輸送開始」の看板を掲げたDDが10両のタキ1100を率いてゆっくりとホームに滑り込んできた。

あれから16年、岡見貨物は不定期ながら、そして途中幾度か災害等で長期運休に見舞われながら、山間の路を、海辺の路を走り続けた。 キハ181、58・28が消えた後、最後の“国鉄”を伝える生き証人のように。それがなくなって、今年でもう7年。確かに朱い凸を見かける機会もすっかり減ってしまったわけである。



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