Memorial GALLERY


 2020.04.10

2011.04.10 豊実−徳沢 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1)

2020年は大変な年になった。新型コロナウィルスの感染拡大に世界が震撼し、ニューヨーク・パリなど各国の主要都市はロックダウン。一方の日本は マスクの買い占めにトイレットペーパーの品切れ(オイルショックの時もそうだが、なぜ日本人は何かあるとトイレットペーパーがなくなると考えるの だろうか?)で大混乱した挙句、先日ついに緊急事態宣言が発令されて街は閑散とした様子になった。我が勤務校もとりあえず連休明けまで休校扱いで、 目下生徒への教材発送や課題の提示に追われているところである。

そんな先の見えない日々に、ふと既視感を覚える。 9年前の震災後の状況である。被災地の惨状が筆舌に尽くしがたいものだったのは言うまでもないが、 我々の住む関東地域でも計画停電に生活物資の窮乏と毎日の生活が大きく制限された。それでも身の回りが少しずつ日常を取り戻し始めた頃、燃料不足 に悩む被災地に石油を輸送するため、磐西経由の臨時貨物が計画された。先頭に立つのは全国からかき集められた退役間近のDD51。非電化幹線のエー スとして長きにわたって鉄路を支えた名優に最後の活躍の場が与えられた。報道で第一報を目にした我々は居ても立ってもいられなくなり、被災地に少 しでも金を落とすことを心に決めて阿賀野路への訪問を繰り返したのだった。

だが、デジャブのようでいながら、あの時と今で全く異なる点もある。それは、震災は「被災地」と「それ以外」の区分けが明確だったことである。だ からこそ日本だけでなく世界の「それ以外」から「被災地」に向けて支援を行うことができた。それに対し今回のウィルス禍は、全世界が被害を受けて いる。 もはや安全と言われる場所はなく、支援する側とされる側の区別はない。そのような状況下で醜い買い占めや感染者多発地域への偏見が生まれて いる。どうも人間という生き物は、分断されると絆を求め、皆が同じ境遇に陥ると差別という名の分断ラインを引きたがるものであるらしい。病気だけ でなく、経済そして人心まで荒廃させるパンデミックが1日も早く終息することを祈ってやまない。



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