Memorial GALLERY


 2019.09.24

2007.09.24 大岸−礼文 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1)

噴火湾沿いがまだブルトレ街道だった頃、複線非電化を疾走するDD重連に憧れて幾度かお盆に津軽海峡を愛車で渡った。だが、夏空が広がる秋田・青森エリアから一 転、道南エリアはいつも曇天にやられ、午後の上り「トワイライト・エクスプレス」1本を仕留められるかどうかが関の山だった。それもそのはず、5月の連休明け以 降の北海道太平洋側は、暖気と寒流の影響で決まって深い霧が湧く。濃い水蒸気が地表を覆い、晴れ予報でも昼過ぎまで光線が射し込まないのが日常茶飯事なのだった。

2005・06年と連続で痛い目に遭った私は反省し、翌年は気候も少し落ち着いた9月に渡道を試みた。秋分の日の連休で室蘭本線入り。さすがに気温が下がると霧の発生 はなく、移動性高気圧の直撃もあって連日の晴れに恵まれた。この日の朝は北舟岡の海沿いストレートで「カシオペア」と「北斗星1号」を迎え撃ち、後に“宇宙軒カ ーブ”として世に知られることになる北入江(信)のS字で「北斗星3号」を仕留めた。この後、海峡線に展開していたチバラギ氏と合流するまでしばし時間がある。大 岸−礼文のカムイチャシ遺跡を待ち合わせ場所として、しばし貨物などを待ってみることにした。

その時に押さえたのがこの1枚。当時から「スーパー北斗」の台頭でちょっと気になる存在になっていたキハ183-1500系の「北斗」。色こそオリジナルから変われども、 私の世代では初めて北海道を訪れてから「北斗」はずっとこの色なので親しみもある。ハイデッカーのグリーン車を組み込んだ長編成がエンジンを唸らせながら130km/h でブッ飛ばす姿はなかなか魅力的だった。あれから14年、スラントノーズは引退し、1500番台も世代交代や特急の減便が相次いで、キハ183系列自体がももはや風前の灯 火である。長編成のDC特急が北の大地を駆け抜ける姿もずいぶん貴重なものになった。



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