Memorial GALLERY
2019.07.16
2005.07.16 平津戸−川内
NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100
梅雨はいつも突然明ける。週間予報を覆し、油断しきった我々を早朝の強烈な朝日で目覚めさせる。この年は確か直前になって予報が格上げされたように記憶している。 折しも海の日連休のタイミング。山田線では原色キハのその名もずばり「海の日号」も設定されている。深夜に仕事を終え、ボロ軽で東北道を北上した。ただ、やる気と 若さをもってしても、盛岡まで500kmの道のりは遠い。しかも660ccターボ無しの初代AZ-ワゴンで仕事上がりの終夜運転は拷問といっても過言ではない。結局那須高原で 早々に寝落ちし、夜明けとともにリスタートとなった。
それでも20代の体力というのは素晴らしい。実質2時間程の仮眠でもその後はギラギラに覚醒して、クリアーな夜明けを眺めつつアクセル全開。車が非力なのは変わらな いが、区界峠の急勾配に喘ぎながらも、列車の通過時刻までには定番平津戸−川内のオーバークロスに到着した。ペンタは90o、F5はもっと欲張り広角ズーム35o相当 のタテ構図でセットする。いい加減陽の高い時間になってはいたが、深緑に包まれる中、清流を横目に駆け抜ける原色ゴッパを切り取ることができた。
この後は、震災で大きな被害を受けることになる宮古以南の海沿いエリアに転戦。普段キハ110王国のこの区間を国鉄型が走るのは実に貴重である。リアス式海岸の合間か ら水平線がチラリと覗くアングルで列車を待ち構えるが、残念本命は来る曇るで撃沈したのであった。夜は宮古の焼き肉屋でコサカミ氏と祝杯を挙げ、岩手刈屋マルヨ。 翌朝ホームにはタチアオイが花をつけていた。この花が上まで咲くと梅雨が明けるという。2005年の夏が、今始まろうとしていた。
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