Memorial GALLERY


     2019.03.21

1998.03.21 三瀬谷駅
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3月10日の国立大学前期入試の合格発表をもって受験シーズンはほぼ終結。現在も仕事がらそれ以後の時期は1年間の成果を振り返り総括する段階に入るのだが、 自分自身が受験生だった20年ほど前はそれこそ本当に「総括」の季節でダメだった自分の傷を舐めるように機材を相棒に18きっぷで旅に出た。とりあえずDD51 に会いたいと思い、行先は紀勢非電化と美祢線。まずは大垣夜行で西へ下り、新大阪からの新宮夜行で紀伊半島の南端に乗り込んだ。

若さとは凄いもので、手元の記録を見ると、このツアーでは新宮夜行→鈍行乗り継ぎ、途中でDD重連貨物撮影→亀山から関西本線で大阪→再び新宮夜行という ループで紀勢本線を3周している。 我ながら狂気の沙汰というしかない。2周目にあたる21日は、三木里−賀田のトンネルポータル上からダブルヘッダーを顔面 撃ちし、普Dで北上して三瀬谷の鉄橋を目指した。撮る列車がキハ58なら乗る列車もキハ58という何とも贅沢だった時代。目的地の三瀬谷駅で下車すると、交換 列車も入線中で、奇しくも急行色同士の並びを撮ることができた。だが、駅から歩いて15分の名所三瀬谷鉄橋では、キハ85の「南紀」こそ手堅く撮れたものの お目当ての58・28は曇ってしまったらしい。1/1000sec f2.8というデータは残っているが、ポジは行方知れずになっている。

この後京都に移り住み、関東から比べれば紀勢ははるかに行きやすいエリアになったはずだった。だが、車も免許もない大学1年生にはなかなかにハードルが高 く、 早朝の伊勢柏崎を駆けるヨ付きの3161レすらあまり通うことができないままに紀州路の58・28は引退を迎えてしまった。普Dの主役は白に湘南帯の40系に移 り、貨物も緩急車が消え重連は単引きに、さらに更新ガマが増殖してリスクばかりが高くなっていった。最後にこの地を訪れたのは、2089レと列番の変わった貨 物再末期の頃。40系ですら引退が囁かれ、ステンレスの軽快DCが幅を利かせるようになっていた。それからさらに6年。平成も終わろうとする2019年、国鉄の 残り香を探すのはますます難しくなってきた。



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