Memorial GALLERY


 2019.02.19

2008.02.19 松久−児玉 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)

今年に入って週末設定も多く、盛り上がりを見せている八高訓練。 初めて参戦したのは、運転が始まってすぐの99年の年明けのことだった。今ほど原色DLが貴重ではなかった 時代ながら、お召仕様コンビが赤帯入りの旧客2両を挟んで冬枯れの武蔵野を走る姿に痺れたものだった。あれから20年、未だに列車が健在であることに驚きを禁じ得ない。し かも今回は客車が12系というのが、かつての高尾臨のようでポイントが高い。まぁ相変わらずのプッシュ・プルで最後尾にもカマがぶら下がっているのはご愛敬ということか。

ところで、11年前には正真正銘の高尾臨然とした列車が八高線を駆けた。 八王子支社の臨時列車で使う12系を高崎から八高線で回す送り込み回送。スジは異なれど、冬場の低い光 線でこの千両役者を捉えられるチャンスが再来するとは望外の喜びだった。早速☆氏と出撃し、往路を竹沢−折原のSカーブで仕留めた。返しは順光ポイントを探して松久−用 土のストレートに。伝家の宝刀ペンタ400で、バックがとろけるようにボケるアップ撮り。仕上がったポジを見て、浮かび上がったナンバープレートのエッジの切れに幸せを感じた ものだった。

翻って先日の訓練運転。復路は久しぶりにこの場所に行った。線路脇には巨大な雛壇が形成され、前列のローアングルから最後列のハスキー5段エレベーター全開まで黒山の人 だかりができていた。さすがに恐れをなして人の立たない場所に三脚をセット。距離を置いているつもりだったが、通過時刻が近くなって人垣が騒めき始めた。曰く先頭のDD が無灯火であると。確かに乗務員訓練なんだし、しっかりしてくれよとは思う。だが、雛壇の若者たちは半ばトランス状態に陥ったかのように、口々に悪態を突き始めた。しか もこれだけの人がいるのに、口走る言葉は示し合わせたように「死ねよ、 ボケ!」の大合唱。冷静に考えて一体誰に死んでほしいのだろうか?恐ろしいまでの品性下劣・語彙貧 弱。どの程度の大学の学生かは知らないが、ワカモノがこれではねぇ…とオジサンは暗澹たる気持ちになったのであった。



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