Memorial GALLERY


 2018.03.16

2001.03.16 安中−群馬八幡 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N RVP(+1)

「撮るものがない」と昨今皆さん口にするが、思い返すと我々はずいぶん前から同じ台詞を繰り返している。90年代後半、東北や山陰から普通客レが消えた時。関東で 急行「東海」の165系や鶴見線のクモハ12、八高線のキハ30が引退した時。碓氷峠が廃線になった時。2000年代に入ってからも、山陰のキハ181、58・28の置き換え、九 州ブルトレの全廃…。ダイヤ改正を経る度に、撮影地で、飲み屋で「もう撮るものないねぇ」とこぼしたものだった。

だが、それでもよく見れば、地味に撮っておきたいネタはまだまだ転がっていた。 2001年3月、就職活動と帰省を兼ねて実家に帰り、フラリと信越線に車を転がした。 目的は横川までのマヤ34の検測仕業。今日は白マヤことマヤ34 2002ではあったが、カマがPトップと青いロクヨン1000のプッシュ・プルとのことで、冷やかし半分で 出掛けてみたのである。場所は定番安中鉄橋。背景もスッキリせず、好みの撮影地ではないけれど、“らしい”アングルはここしか思いつかなかった。

黄砂も花粉もなくクリアーな晴れに恵まれて、榛名山の姿もバッチリ見える。 編成も短いので標準横がちの立ち位置にセッティング。 特に異常なパニックになることも なく、10名前後の鉄ちゃんに見送られてマヤ検はのんびり鉄橋を渡っていった。あれから17年、東日本エリアどころか本州全体からマヤ検はとっくになくなり、北海道 でも昨秋の検測が最終巡業だったという。カマこそ健在なるも客車ジョイフルトレインもすでに全滅。さすがに本当に撮るものが枯渇してきた。 今度の改正では、いよ いよ残り僅かな国鉄型車両に引導が渡される模様。 最近導入したデジ機材は、果たして減価償却できるのだろうか?



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