Memorial GALLERY


     2018.01.22

2006.01.22 音威子府駅
 NikonF5 AFNikkor50oF1.4 RVP100

今シーズンも全国唯一の日中定期排雪列車として活躍を続ける宗谷本線のラッセル車。だが、年々沿線に繰り出す人出が増える一方で、積雪量が減少したのか、 はたまた線路際に集る鉄を警戒してなのか、フランジャーをあまり下ろさなくなり、ライトも4灯全点灯せずにやって来ることが多くなった。ただでさえ天候 に恵まれる機会の少ない最果ての路線、運転も撮影も過酷な環境なのに、これではあまりにリスクが大きい。 というわけで、最近は年末年始は海外に高飛びす ることが増え、白魔と戦うDEを目にすることもめっきり少なくなってしまった。

思えば、初めて宗谷ラッセルに参戦したのは今から13年前の2月のことだった。RMの巻頭ギャラリーで記事が出たとはいえ、まだ訪れる人はわずか。 あきん どカントク、ケンケン氏と3人で、DDの常紋臨貨を撮ってからオホーツク沿いに稚内に入った。翌朝抜海−勇知のオーバークロスで同業者を発見、それが今に至 るまで親交のあるエヌ脇隊長との初対面であった。ラッセルを集中的に追い掛けているというエヌ脇氏のアドバイスを受けながら、極まったかどうかは別として、 アングルを一つ一つ覚えていった。結果的に納得できるカットは少なかったがよき先達の指南を受け、その奥深さを堪能した。以後毎冬のように、エヌ脇隊長を 先頭に沿線の雪山にアタックを繰り返すようになったのだった。

この年は、後に「ゼロロク豪雪」として記憶に残ることになる寒い冬だった。連日のブリザードで日中はとても走りの写真が撮れる環境ではなく、Xカットお持 ち帰りのため夜な夜な音威子府の駅マルヨを余儀なくされた。下りの雪361〜371レは深夜0時半から1時過ぎまで約30分の小休止。今夜は駅名標を絡めた1枚を 狙ってみた。かじかんだ手でレリーズを握ったあの晩からすでに干支が一回り、隣のホームで発車を待つ「利尻」も、独特の雰囲気を醸し出していたオレンジの 照明も今は昔の語り草となった。辛うじてラッセルだけは残っているが、最果ての冬物語は一体いつまで続くのだろうか。



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