Memorial GALLERY


     2017.08.31

1997.08.31 横川−軽井沢
 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 RVP(+1)

早いもので、碓氷峠の廃止から20年。20年前の私はというと、某K合塾に通う浪人生だった。自分のことを極めて客観的に把握していた私は、こうなることを見越して 高2の年末に定番中の定番、丸山変電所のカーブを訪問し、冬の群馬特有のバリ晴れの下で最低限の記録だけは済ませていた。

しかし、いよいよラストイヤーに入り雑誌の特集や世間の“煽り”が過熱してくると、受験生ながら心中は穏やかではない。予備校が始まる前ならいいだろう、と言い 訳をつけて4月に再度丸山界隈を訪れた。横川機関区の桜が見事に満開、これで腹を括って第一志望に向け勉学に勤しむ…はずだった。が、5月、最初の模擬試験は完 璧な手応え。勝利を確信した受験生は、さっそく翌週末の急行「能登」の客になり、三度碓氷峠を目指した。今回は碓氷の達人に拉致(?)されて、新緑の峠で俯瞰三昧。 青空の下萌黄色のめがね橋が美しかった。で、6月。返却された模試の結果は、ハイレベル国公立のクラストップで、もちろん合格可能性は余裕のA判定。恐れを知ら ない19歳は、4度目の峠を目指したのだった。

だが、さすがに夏も終わりが近づくといよいよ年貢も納め時。懲りない私も、そろそろ納めるべきものを納めようと、夏期講習と2回目の模試が終わったタイミングで、 「本当に最後」の碓氷詣でに出掛けた。急行「能登」で未明の横川に入り、夜明けとともに活動開始。始発列車を丸山で迎える。冴えない天気の下、早咲きのコスモス の黄色い花が画面の暗さを補ってくれた。18号の旧道を1時間余り歩くとめがね橋。今日は“くつろぎ”が入線するので、横軽らしいポイントとしてここで迎え撃つこ とにした。 当時すでに「白空はカットすべし」という鉄則を弁えていたらしく、135oタテで上を詰めた構図にセット。最後の運気を振り絞ったお陰か、薄いながらも 日が差し始める。間もなく、ブロワー音とともにゆっくりとEF62に率いられた茶色の客車がアーチの中に姿を現した。



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