Memorial GALLERY


     2017.07.31

1994.07.31 小沢−銀山
 OLYMPUS OM-1 ZUIKO75-150oF4 SuperHG400

生まれて初めての北海道は高校1年の夏。 手つかずの大自然の中を行く鉄道情景に憧れた少年にとって、当時の北海道は本当に夢の大地だった。札沼線末端区間や留萌本線 どころか、“最後のローカル線”の呼び声高かった深名線も廃止前。国鉄色のキハ53が腕木信号機に見送られながら、白樺林の中を縫うように走っていた。函館本線ではキハ のワンマン化もあまり進んでおらず、タラコ色のキハ22やキハ40を拝むことができた。 札幌を拠点にして道東・道北・道南各方面に夜毎旅立つ夜行列車も現役で、車中泊を 繰り返す覚悟さえあれば北海道ワイド周遊券1枚でどこへでも行けた。撮りたいものがあり過ぎて、常紋臨貨や宗谷ラッセルのようなシブいネタにはとんと神経が回ってい なかった。

この日は「C62ニセコ」を撮りに山線に乗り込んだ。行きを稲穂峠で撮り、返しは小沢発車に決めた。今思えば、この天気なら羊蹄山も見えていただろうし、迷わず北四線 踏切へGo!となるところだが、車内から見た場所取りの激しさに貧相な装備しか持たぬ高校生は恐れおののいた。それに、この年の夏は暑かった。北海道というのに日中 の気温は連日40度近く。他にも峠区間に籠る選択肢もあったはずだが、長距離を歩きとおす気力も萎えて、持参のレンズで手軽に面タテできそうなこの場所に落ち着いたの だった。

現在なら、歩き鉄でこのシチュエーションなら迷わず「乾杯!」となるところだが、そこは品行方正な未成年、駅前自販機で安売りしていた500ml100円の麦茶で喉を潤しな がら機材をセット。本番の1時間ほど前だったか、下りのキハがやってきた。タラコ色のヨンマル100番台。何気ない普通のローカル列車だが、タラコ色が萌えポイント。 軽やかに目の前を駆け抜けるキハに、真面目にシャッターを切った。



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