Memorial GALLERY


 2017.02.27

2001.02.27 新疋田−敦賀 MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1)

先日、最後の“月光型”秋田の583系の引退が正式に発表された。子どもの頃から独特の深い屋根と濃紺を纏ったカラーリングに惹かれるところがあり、鉄ちゃんトークで 好きな電車を聞かれると「ゴッパーサン」と答えるのが常だった。高校時代、初めて乗った寝台列車は臨時「はくつる81号」。撮影に目覚めた頃には定期運用を失い波動輸 送が中心になっていたが、限られた機会を捉えては9連、12連の堂々たる姿を追い掛けてきた。昨今は6連に短縮されたとはいえ、美しい国鉄色を保ったまま羽越本線の日 本海岸や磐越西線の峠越えを行く姿に写欲をそそられ、その一瞬を切り取るために、休みと天気の兼ね合いを見ては幾度も深夜の東北道を北上したものだった。

こうして数々の思い出を残し花道を去っていく正統派とは別に、583系列にはもう一つ数奇な運命をたどったグループがあった。運転台の設置、ドアの増設、車内設備の変更 を経て、419系や715系などの近郊型へ改造されて行った車両たちがそれである。 塗装こそ他の近郊型車両と同じ地方色に塗られていたが、いわゆる113系顔とは全く違う風貌 の大柄な車両たちは、JR型の新規格電車が登場するまで、時代の狭間の九州や東北・北陸地方で異彩を放っていた。

撮る側としては、中間車改造の食パン顔よりは583系の面影を残す“お頭付き”が写真映えがする。 しかし、両数的には食パンの方が多く、巡り会えるのは運次第であった。 この日は冬型が緩んで北陸一帯までバリ晴れ予報の最高条件。朝は近江長岡でボン「しらさぎ」を押さえ、午後から定番新疋田カーブにやって来た。合間の普電も貴重な被 写体、きっちり3両アングルに調整して迎え撃つ。やって来たのは両端食パンの編成だった。残念!しかし、こんな顔でも今となってはユーモラスに見える。16年前の写真 をスキャンしながら、国鉄デザインの秀逸さをあらためて感じるのであった。



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