Memorial GALLERY


 2016.12.22

2000.12.22 国英−河原 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS

気づけば、「鉄」などという悪い遊びを覚えてから20年余りが過ぎていた。大学受験の時はさすがに多少自粛したもののそれ以外は勉強や仕事の合間を縫って 各地を飛び回ってきたつもりである。 中でも最も活動が充実していたのは2000年、大学3回生の時だった。気力・体力・被写体の魅力が三拍子揃い、天気予報を 見ては学校を自主休講して曜日関係なく線路際を彷徨った。12月だけでも、初旬に餘部でヒロ座を撮り、翌週は土曜に姫新線でキヤ検をやってから石橋鉄橋に転 戦し、日曜はロクイチ牽引の「さよなら20世紀踊り子号」。その次が前回このコーナーで出したスマシオのセンゴックで、さらに翌週、日本海側の晴れ予報に誘 われて、ここ因美線にカニ臨の送り込み回送を仕留めにやって来た。

●情誌によると、「カニカニ鳥取」の回送は、鳥取発14時34分。国英−河原の定番カーブには15時前にはやって来るだろう。18きっぷでのんびり昼過ぎに現地入 りし、誰もいない踏切脇に三脚を据えた。先行の普Dでバランスを見て3両ピタリに構図を調整。間もなく警報機が鳴ると、低く唸るエンジン音を響かせて、国 鉄色のキハ181が現れた。

大学3回までこんな生活を送っていては、就職活動のスタートが遅れるのも当然のこと。しかも超氷河期と言われた時期である。翌年は酷暑の中汗だくのスーツ で這いずり回り、内定を貰った頃にはすでに8月になっていた。 そして数年の社会人経験の後、予備校講師を経て、大学の通信教育で教員免許を取得したのが30 歳、34歳で初担任…何をするにも出足が遅いのは、幾つになっても変わらない。だが、そんな私でも、さすがに撮るものの無さと仕事の忙しさに「いつまでも電車ごっ こしていていいのか」という自責の念を抱き始めた。とはいえ「わかっちゃいるけど止められない」のも鉄の性。さて、来年は一体どんな年になるのだろう?



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