Memorial GALLERY


     2016.08.07

1994.08.07 小沢−倶知安
 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO75-150oF4 HG400

今から22年前、高校生になって初めての夏休みは、迷わずワイド周遊券を握りしめて津軽海峡を渡った。 当時所属していた鉄研では、中学のうちは18きっぷで内地を周 り、高校で北海道にデビューするというのが伝統?になっていた。バイブルとなったのは「情報徹底収録 この夏 北海道が熱い!」と題されたRM131号。 毎夜毎夜擦り 切れるほど各ページの写真を眺めた。ページを繰る度、大自然の中を行く鉄道の雄姿に心惹かれるようになっていった。その中で一番のターゲットに定めたのが、「C62 ニセコ号」。平成の世に、日本の鉄道史上最強の蒸気機関車が先頭に立ち、往年の客車を従える伝説の列車が蘇っているのである。これを撮らずして北海道の鉄道を語る ことができようか!

在道中2回目のシロクニ撮影となったこの日は、快速「マリンライナー」を小沢で降り、倶知安方面に歩いてみた。行ければワイス温泉踏切まで行ってみたいが、手つかず の自然の中を縫うように走る函館山線のこと、人が密集する有名撮影地でなくても、バックに人工物の入らない適度なSカーブはいくらでもある。煙も倶知安峠に挑むこの 区間は20‰前後の連続上り勾配なので心配は無用。間違いなく爆煙が望めるはずだ。 11時過ぎ、駅発車の汽笛が山間に響いた。やがて少しずつ大きくなるブラスト音。間も なく、カーブの影から高々と黒煙を吹き上げたC62が現れる。カマの存在感に気圧されながらも切り位置を凝視し、たった1枚だけのシャッターを切った。

まだまだメインは乗り鉄、たまに撮り鉄程度の半人前だった当時の私は、機材こそOM−1にZUIKOの75-150oという渋いラインナップだったが、フィルムはネガ400のみ。 ラチチュードが狭く扱いが難しいと聞いていたポジフィルムに手を出す勇気が持てなかった。今思うと実に勿体ないことをした。しかし、時代はデジタルである。超高精度 でスキャンして、ついでにイマイチだった構図も修正してUPしてみたのが、今回の1枚。誰しもが思うことだろうが、できることなら現在の機材と腕を持って、あの頃へ タイムスリップしたいものである。



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