Memorial GALLERY


 2015.03.14

1996.03.14 新子安駅 Canon旧F-1 FD200oF4 EB

同世代の鉄ちゃん諸氏は口を揃えて言う。国鉄型最終章の幕開けは96年3月改正であったと。確かに、主だったものだけでも関東では急行「東海」の特急格上げと 373系への置き換え、鶴見線のクモハ12や八高線のキハ30の引退、関西では特急「あさしお」・急行「丹後」の廃止など。我々の憧れだった“国鉄”の残り香が消え ていくのを初めて実感することになった。高校2年生だった私は居ても立っても居られず、そろそろ大学受験に向けてまじめに勉強を始めなければならない時期に もかかわらず、カメラを手に近場を巡ることになった。

学年末試験が終わり学校が休みになったので、この日は昼から新子安駅へ。クモハ12の夕方運用への行き掛けの駄賃に、まずは13時50分過ぎに通過する急行「東海 3号」を狙う。当時からすでに信越地区の「赤倉」と並んで165系最後の優等列車と言われていた「東海」には、さすがのJR東海も餞を用意しなければと思ったか 3月に入ってから連日リバイバルのヘッドマークが掲げられていた。正真正銘の現役マーク付き急行は、当然我々のハートを鷲づかみ。この日も多くの鉄ちゃんが ホーム端に集まっていた。それでも昨今のような殺伐とした雰囲気はなく、和気藹々と列車待ち。間もなく現れた堂々サロ込み8連の急行型に一斉にシャッターを 切ったのであった。

ところが、改正後に受験生モードに入って一旦カメラを置いたためさっぱりフィルムが消化できず、ようやく現像に出したのは6月になってから。高温多湿の梅雨 時まで装填しっ放しだったのはやはりよくなかったらしい。仕上がったポジは全体に赤みを帯び、このカットも空がマゼンダがかった妙な色合いになっていた。ス キャニングと必死の色補正でやっとご覧の通りに。何とも勿体ないことをしたものである。



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