Memorial GALLERY


 2013.10.10

2000.10.10 生田原−常紋(信) MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N RVP(+1)

常紋峠の名所 146kpは、やや色付きに物足りなさが残るとはいえ紅葉の見頃を迎えていた。見知った顔の先客たちが並べた三脚の隙間を縫うようにハスキーを立て、マ ミヤ210oのヨコ構図で構える。迎え撃つは昼の貨物こと9559レ。1発目を北見峠越えの通称“高速俯瞰”で撮り、そのまま追走してここに先回りしてきたのである。 森閑とした山中に我々の談笑だけが響く中、ふと耳を澄ますと遠くから微かな鼓動が聞こえてきた。

10月10日は体育の日。自主休講すれば済む学生に 3連休という概念はなかったが、気質の社会人鉄ちゃん諸兄と紅葉の常紋詣でをするならこの時期しかないだろうと、 大学3年の秋は関西からフェリーで北海道を訪れた。当時はまだDDが重連で先頭に立ち、8557〜8556レ・9559〜9558レの2往復体制。赤影や青ガマといったリスキー な機関車もおらず、晴れさえすれば1日4〜5発は手堅くXを頂戴することができた。この日も丸瀬布の100kpで朝の8557レを押さえてから高速俯瞰と146kpで9559レ を撮影、返しの8556レも150kpで極め、美味しいところを一通り頂いた。

翻って今日、DDはプッシュ・プルとなりDDも更新ガマが激増、運転本数に至っては僅か 1往復まで削減されてしまった。好条件に恵まれても撮れるのは下り1本の み。2011年度での廃止予定は2年間延期されたものの それ以後存続の話は聞こえてこない。世間は石北臨貨物最後の秋!とヒートアップしているが、かつての賑わいを 知るものとしては、その凋落ぶりは目を覆うばかりである。 蒸機の白煙からディーゼルの紫煙へ、機関車は変われど脈々と受け継がれてきた「常紋のヌシ」の系譜に、終 止符が打たれる日は近い。



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