Memorial GALLERY


 2013.01.17

1999.01.17 伊勢崎−駒形 MamiyaM645 1000s SEKOR150oF3.5N RVP(+1)

試客やら工臨やらでやれゲッパだキューゴーだと騒いでいる最近の若い鉄ちゃんは知らないだろうが、実はあのド派手なPFには昔相方がいた。その名を “スーパーエクスプレス・レインボー”という。14系を改造した両端展望付きのサロンカーで、紅白饅頭かカープのユニフォームかという赤と白の目立つ 塗装が沿線景色に映えたものだった。 かく言う私も撮り鉄界への本格参戦は90年代末からだから、この展望客車との付き合いはほんの僅かであったが、学 生時代の鉄研の部誌に残る関西-D.W先輩の記事によると、1989年秋には山陰本線の保津峡に入線し、多くの関西鉄ちゃんを狂乱の渦に陥れたこともあった という。

今から14年前の1月、当時京都で一人暮らしをしていた私は、高尾臨撮影のために毎週のように大垣救済臨で帰省を繰り返していた。このときも、未明の横 浜駅で暖房が効き過ぎサウナと化した167系を降りて、横浜線〜八高線と乗り継ぎ寄居−用土でDD&12系を撮影。 その後EF65 1118+レインボーの正調編 成で仕立てられた鉄道友の会の新年会号を撮るべく両毛線のお立ち台、伊勢崎−駒形に流れてきたのだった。

現地にはすでに雛段ができていたが、早速買ったばかりのハスキー4段の威力を活かして後ろからハイアングルで抜くことにした。しかし、パニックし過ぎ でダッコちゃんが使えない。必然的に1丁切りとなり、マミヤかOMかの選択を迫られることになった。う〜ん、ここは赤の発色に渋味があって保存性抜群 のKRで勝負、というわけでOMをチョイス。 ズイコー100oF2.8を付けて構図を決めた。と、前列の鉄が振り返ってこう言い放った。「あれ、まだカメラ 付けないの?もうすぐ列車来ちゃうよ。」 彼は本気だったらしい。恐らくちょっと天然だっただけなのだろう。だが、私はいたく傷ついた。 そりゃあOM は小さいさ。でも、「付けないの?」はねぇだろう、「付けないの?」は!あまりの悔しさに、私は急遽マミヤ150oに機材を切り替え、赤い列車を迎え撃 ったのだった。



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