Memorial GALLERY


 2012.11.14

2002.11.14 勝沼ぶどう郷−塩山 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)

少年時代の“乗り鉄”の原点は、スカ色の115系にあった。新宿0時02分発上諏訪行き421M。先輩に連れられた初めての青春18きっぷの旅は、中央夜行 とか山岳夜行と呼ばれていたこの列車で幕を開けた。終電間際の副都心を後にして、酔客で満員の201系を横目に複々線区間を走り、天狗のお面が鎮座す る高尾を過ぎると、いよいよ漆黒の闇に包まれた山間部へ。甲府では1時間半ものバカ停があり、中1だった私は冒険気分で深夜のコンビニに買い出し に出掛けた。 夜明けの小淵沢駅で深呼吸。高原の空気は実に爽やかだった。終点上諏訪ではホームの温泉で優雅に朝風呂に浸かる。この列車に一晩乗っ ただけで、私はすっかり“18きっぷの旅”の虜になってしまった。

以後、西へ向かうときには大垣夜行と並んでこの列車を良く利用した。夏休みや冬休みには、飯田線や中央西線に乗り継いで中京エリアに下り、京都から 「ムーンライト九州」などで尾道の祖母の家を目指した。近場では、篠ノ井〜信越経由で横軽にロクサンを見に行ったりもした。だが、翌年行き先が松本 に伸びたものの、2年後には臨時化され、いつしか時刻表上から伝統の普通夜行列車は姿を消していた。私自身も関西に移住し、中央東線とは縁が遠くな ってしまった。

10年前の秋、「あずさ」から183系が撤退すると雑誌に煽られ、ロクヨン貨物も絡めて何度か東線を訪れた。夜行運用はなくなったが、ローカル仕業ではま だまだスカ色115系は健在だった。紅葉がピークを迎えていたこの日は、午後から勝沼ぶどう郷の「ぶどうの丘」俯瞰へ。錦秋の丘陵地帯を行く山スカに、 子供の頃の思い出を重ね合わせてシャッターを切った。



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