Memorial GALLERY


 2011.04.07

2001.04.07 白川口−上麻生 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 PKR

キハ82の現役時代にタッチの差で間に合わなかった世代にとって、高山本線はなかなか縁のない路線だった。看板特急「ひだ」 は無機質なステンレスのキハ85、ロ ーカル運用はナントカの一つ覚えみたいにクリームと湘南帯のキハ40系、唯一マトモな被写体だったDD51のセメント貨物も坂祝止めでは、いくら沿線風景に恵まれ ていても訪れる機会は皆無に近い。昔の雑誌でいい写真を見つけても、出るのは溜息ばかりであった。

大学4年の4月のある週末、高山までユーロライナーが入るというネタをつかんだ。就活の合間を縫って、よし出撃!前から気になっていた飛水峡の俯瞰に行こう。 さっそくコサカミ氏に連絡を取り、美濃太田で合流と決める。当日朝一の列車で京都を出て、岐阜から高山本線へ。改札を出ると、氏の真新しい2代目ミラ号が待っ ていてくれた。白川口から川を渡って九十九折りの山道を登る。高度を稼いで高圧鉄塔のある斜面に這い上がると、眼下に川沿いを行く二条の鉄路が見下ろせた。 4月とはいえ春まだ浅く、山間部は冬枯れ模様。常緑樹の部分だけをチョキチョキ切り取ってアングルを決める。11時少し前、専用機“ナクイチ”に牽かれたライト グレーの編成が、静々とファインダーの中に現れた。

そういえば、最近DD51を撮る機会がめっきり減った。センターキャブの凸型スタイルを見るのは一体いつ以来になるだろう?思い返すと、昨年2月に山口線で“あ すか”を撮影してから実に1年以上ご無沙汰である。ちょっと前まではしょっちゅう追っ掛けていたのに、気づけばデーデーもすっかり貴重な存在になってしまった。 そんなDD51に、先日からとっておきの檜舞台が用意された。重い使命を背負った磐西経由の燃料輸送。 被災地への願いと期待を込めて、今日も山越えに挑む朱い 重連に心からエールを送りたい。



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