Memorial GALLERY
2011.03.25
1998.03.25 厚保−湯ノ峠 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 RVP(+1)
今から13年前の春のこと。京都の某大学への進学が決まり、部屋探しも終えた。引っ越しは3月末で入学式は4月1日。それまでのしばしの時間を 使って西日本に撮影に出た。狙いはDD重連貨物やキハ58・28が熱い紀勢本線と、石灰輸送の終焉が間近に迫った美祢線。両線は被写体や沿線風 景に恵まれているだけでなく、新宮夜行や「ムーンライト九州」などの夜行列車でアプローチでき、免許も車も持っていない当時の私でも18きっぷ で訪れやすいのが大きな魅力であった。
大垣救済臨で出発して名鉄600Xを少々かじり、関ヶ原で「しらさぎ」を撮ってから新大阪へ。そこから新宮夜行で紀伊半島を南下して、紀勢東線を北 上しながらDD貨物を撮る。夕方亀山から関西本線で大阪に帰ってまた新宮夜行…そんなループを数回繰り返してから「ムン九」に乗って厚狭に移動 した。ここで、高校の後輩の紹介で何人かの仲間と出会い、数日間寝食を共にして (どこで寝食したのかはとてもここでは書けないが…汗) DDを追 うことになった。以後、このときのメンバーとは学生時代を通じて濃いつながりを持つことになる。人の縁というのはどこで始まるかわからないもの である。
いつまでも山口県でウロウロしていると引っ越しの期日が迫ってきた。今日あたりが潮時か…と撤収を考え始めたこの日は、午後からきれいな青空が 広がった。 陽気に誘われるように、メンバーの1人コサカミ氏と有名な奥畑のカーブへ。 厚保駅から中国道の側道を越えて山道をずんずん歩く。機 材が軽かったとはいえ、あの頃は元気だった(笑)。 コンクリの壁の突端に三脚を立て、OM−1に100oをセット。フィルムは人生二度目のベルビア。 さぁ来い!色味には欠けるが、暖かな日差しに照らされた渓谷に弧を描くセキの長編成を、たった1枚だけ切り取った。
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