Memorial GALLERY


 2010.11.15

1998.11.15 丹後由良−丹後神崎 MamiyaM645 1000s SEKOR150oF3.5N RVP(+1)

私にとって山陰特急の雄「あさしお」は手が届きそうで届かないまま消えてしまった、憧れの存在だった。記憶を手繰れば幼少の頃、祖母に連れられて綾部の大本に 墓参りに行くときに、ボンタン飴を舐めながら車窓から保津峡の急流を眺めたのを思い出す。それから十数年、高校生になり撮り鉄への階段を昇り始めた矢先に「あ さしお」「丹後」廃止の報。さすがにそろそろ受験勉強を始めようかという頃にカメラ片手に山陰くんだりまで行くわけにもゆかず、歯痒い思いをした。3月改正前 日に修学旅行へ出発。九州へ向かう新幹線の車内から京都駅0番線を発車する姿を見たのが最後となった。

そんな憧憬が1日だけ甦ったのが今から12年前のこと。まだ国鉄色を纏っていた京都のキハ181が6連で北近畿タンゴ鉄道に団臨で入線した。当日は大学の学園祭。 1回生のうちからこんな大イベントをサボっちまっていいのかとも思ったが、愛校心のない(笑)学生だった私は、大して迷いもせずに始発の山陰線の客になった。 西舞鶴でタンゴのキハに乗り換えて名所由良川橋梁へ。コサカミ氏らと合流し、川辺の土手でマミヤ645とOM−1の2台をセットした。

川面を渡る晩秋の風に吹かれながら待つこと約1時間、鉄橋の先に2灯のライト。来た! 「おき」や「はまかぜ」を見慣れた目には長編成に映る6両の特急色がメイ ンステージに躍り出る。右手にマミヤ、左手にOMのレリーズを握り、ファインダーを注視。一番左端の橋脚まで先頭を引っ張って…と、その途端、緊 張感と冷たさで左手が小刻みに震え、カシャン…と小さな布幕シャッターの音がした。何ぃ!だが、ワインダーもモードラもないOMでは全ては後の祭り。手元にはた った1枚、645のXゴマのみが残された。



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