Memorial GALLERY


 2010.04.19

2000.04.19 楡原−美作江見 MamiyaM645SUPER SEKOR105oF1.9N RVP(+1)

9年前の今頃、私は超氷河期の真っ只中で就職活動の最前線に立っていた。写真に青春を賭けたからには“カメラマン”なる肩書に多少の憧れもあり、最初に受けたのは 某大手新聞社の写真記者。でも言わずと知れた狭き門、当然普通に受かるとは思えない。しかも、とりあえず英語の勉強でも始めるかぁと高校時代の参考書を広げたのが 3月末という体たらくである(汗)。試験会場に行くと、定員1〜2名のところに受けに来たのが200人超!ま、受からないわなぁ…。

ところが、奇跡は起きた。試験本番では神が降りたかのようにスイスイ解ける!小論文もぶっつけ本番でクリーンヒット!! 何とまぐれで倍率10倍の筆記試験を突破してし まったのだった。ちなみに、この後の某ドラゴンズ新聞も筆記合格(驚)。さらに今に至るまでの予備校の講師採用試験も全勝。何と19の春に国立大学を落ちて以降、私の 筆記試験無敗神話は続いている。でもなぁ…こんな試験受かんなくてもいいから大学で第一志望に行きたかった(苦笑)。さて、ありがたく往復新幹線代を頂き、2次の面接 のため「のぞみ」で上京。 が、ここまでは所詮は想定外のラッキーパンチだった。ダメ元で書いたエントリーシートの完成度があまりに低かったため、翌日の面接でコワ モテの部長数人にボコボコにされ即日帰郷(泣)。まぁいいや、明日は姫新線でマヤ検がある。さっさと帰ってF31氏と出撃だ!

しかし、ダメな日は一事が万事トラブルだらけ。新大阪行きの最終を目の前で逃し、計画は頓挫した…かに思われた。だが待てよ、確かこの後「サンライズ」があったはず。 これなら十分間に合うじゃあないか!ノビノビ座席なら新幹線と料金的に大差ない。翌朝姫路駅で無事F31氏&さささ先輩に合流。エラソーな面接官にドヤされた悔しさも サッパリ忘れて、バリ晴れ新緑萌え萌えの中国山地を行くDE10+マヤをとことん追っ掛け倒したのであった。怪我の功名、あ〜面接なんか落ちて良かった良かった(笑)。



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