Memorial GALLERY


 2010.01.14

2002.01.14 栃原−佐奈 MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1)

年が明けて、今年はもう2010年代。「十年ひと昔」という言葉に従えば、京都で学生時代を謳歌していた頃からはや一時代が過ぎてしまったことになる。10年前の 関西は正月早々大社臨や伊勢臨で客車ジョイトレがフル稼働。休みとなれば、天気次第で伯備か紀勢か進路を定め、ロクヨン or デーデーの客レを追っかけ回した ものだった。

京都での学生生活もあと数カ月となった大学4回生の1月、紀勢西線に あすか が入ると聞きコサカミ氏と出撃した。洒落た塗装に両端展望室、編成中程にはラウ ンジカーも付き、関西の客車ジョイトレの中ではかなり好みだった あすか。だが普段の運用は北陸方面が中心で、なかなか非電化でのDDとのコラボが見られず にいた。今回はまさに千載一遇のチャンス!DD重連の3161レも兼ねて深夜の国道23号を南下した。

ところが、翌朝の二木島は冬らしい澄んだ空気はどこへやら、どうも朝から靄っぽい。3161は接近戦で勝負して誤魔化したが、はてさて あすか はどうしたものか? 昼過ぎに新宮を出て北に向かうスジでは撮影地もあまりわからないし、靄った時の逃げ場などすぐに思い浮かぶはずもない。新宮−鵜殿の鉄橋はモヤモヤの妥協写真 で敗北。このままでは終われねぇ!即追っ掛け体制に入り、第二ポイント“栃原の茶畑”に先回りした。通過時刻時刻は16時前。冬の低い日はすでに地平付近のモヤ 雲に接近し、そろそろ撮影地の営業時間も終了寸前になっていた。間もなく露出は1段デフューズ。早く来い、日があるうちに早く来い!集まった撮り鉄集団の心の 叫びに呼応するように、遠くで踏切が鳴った。



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