Memorial GALLERY
2008.10.27
2001.10.27 多気−徳和 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N RVP(+1)
私が真面目に撮り鉄を始めた頃、東海管内の気動車は急速に世代交代が進められていた。高山本線の「ひだ」、紀勢本線の「南紀」が相次 いでワイドビュー化され、無機質なステンレスキハ特急が山間にカミンズ製エンジンの咆哮を響かせるようになっていた。従って、非電化 メインを謳いながら、私は“特急型気動車の女王”キハ82を知らない。関西で過ごした学生時代は、その幻影を求めて山陰にキハ181を追っ た。
チャンスというのは突然訪れるものである。2001年、それまで京都のキハ58・28で運転されてきた伊勢修旅臨がキハ181に置き換えられるこ とになり、10月末から数回にわたる試運転が始まった。京都車だからどうせ「はまかぜ」色だろうと高をくくっていたら、さにあらず!山陰 で定期運用から離脱した後藤の車両が充てられるという。関西鉄ちゃんの血が熱くたぎったのは言うまでもない。
出撃3回目のこの日も、早朝からF31氏と国道1号を東へ。先日編成長を読み違えて失敗した多気の櫛田川鉄橋に再チャレンジする。標準 レンズでバックの山のピークが真ん中に来るように、かつ背後のオーバークロスの建設工事が始まっているため、作りかけの橋脚が列車で 隠れるように立ち位置と高さを厳密に調整。鉄橋は7スパン入れておけば編成はピッタリ載るはずだ。10時過ぎ、貫禄十分の国鉄色の特急 型気動車が紀勢のハイライトに現れた。画面一杯まで列車を引きつけてレリーズ!タッチの差で間に合わなかったキハ82「南紀」の姿が、 今ここに甦った気がした。
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