Memorial GALLERY


     2008.05.10

1998.05.10 五十島−三川
 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8  RVP(+1)

ちょうど今から10年前の5月第2週は、磐越西線が熱く燃えた。“3つ目のデーデー”として絶大な人気を誇っていたDD51 745が旧客を 牽いて新緑の阿賀野路を走る。各地に国鉄型車両が残りジョイフルトレインも数多くあった当時としても、これは別格のスペシャルネタで あった。案の定沿線はとてつもない人出。そして鉄の世界は狭いもので、最もパニックした上野尻のカーブには当サイトからリンクを張ら せて頂いている猛者の方々もめいめい構えておられたのだそうな。背後でハスキータワーを立てていた67族の諸兄が10年後に皆知り合い になっているとは、あの頃は思いもよらなかった(笑)。

関西から「きたぐに」で乗り込んだ私は、初日は歩き鉄で行きを鹿瀬付近で麒麟岩をバックに撮影。返しの日出谷トラスで知合い御一行と 合流し新津で素マルヨ(←?)。翌日はお車便乗で追っ掛けの恩恵に預からせて頂いた。1発目が磐越道のICにも近いこのトンネル抜け。 旧客は屋根しか写らないが、3ツ目DDは上から撃ち下ろしでバッチリのはずである。OMに180o、フィルムは当然新緑対応のベルビア (+1)!やがてトンネル出口の笹薮がざわめき始めると、漆黒の闇から3灯の明かりが飛び出してきた。X!

その後は前述の上野尻カーブなど数ヶ所を回り、最後は前日と同じ日出谷トラスで締めて上がり。充実した撮影行だった。ナシゴはそれから数 年間、度々●M誌の特集記事で取り上げられるなど撮り鉄の熱い視線を浴び続けたが、ついに2002年春で引退。実質まともに撮影できたのはこ れが最初で最後となってしまった。このときの激Xは、新津マルヨで駅を締め出され、仲間3人と駅舎脇のイ●バ物置で体育座りして夜を明 かしたのとともに、今も忘れられない思い出である。



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