Memorial GALLERY


 2008.02.18

1996.02.18 浅野駅 Canon旧F-1 旧FD200oF4 RDU(+1)

今から12年前も、今年と同じように雪の多い冬だった。当時の私は高校2年生。3年への進級を控え、そろそろ受験に向けて心を入れ換え なければならないと思い始めた頃だった。しかし!こうも雪が降っちゃあしょうがねぇ、鉄が止められないではないか(笑)!! 何せこの96年 3月改正は、165系の急行「東海」が特急に格上げされ、併せて大垣夜行が「ムーンライトながら」に転換、八高線ではタラコ色のキハ30が 引退し、鶴見線では最後の17メートル級旧型国電クモハ12がその活躍に終止符を打つなど関東近辺だけでも大変革。まさに現在に至る撮 り鉄世界崩壊へのプロローグであったのだ。撮らねばならぬものは山ほどある。それらと銀世界の組み合わせとなれば、もう手を緩めてい る暇はなかった。

前夜からの雪は、未明の街を白く染め上げ、なおも激しく降り続いていた。今日は土曜日。昨今の恵まれた高校生ならいざ知らず、残念な がら週休1日の我が校では今日も4時間ながら学校がある。でも、この雪ならきっと交通が麻痺して学校は休みになるだろう、いや、なる に違いない!よし、今日は自主休講にしよう。家族の目を盗み、それでも小心者の私は一応学ランを着て、機材を片手に鶴見線を目指した。

電車はやや遅れながらも動いていた。浅野に着く頃には周囲も明るくなってきた。ホーム端から200oで武蔵白石への送り込み回送を狙う。 だが舞い散る白魔に視界が利かず、ピントもロクに拾えない。露出も限界オーバーの60sec f4。撮れるのか!? もうダメか!? いや、それ でも勝負するしかねぇ!! やがて、吹雪の中ヘッドライトを光らせてやってきた褐色の古武士は、何とも頼もしく、カッコよかった…。それ から1ヶ月の後、彼らは静かに本線上から退いた。



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