Memorial GALLERY
2007.12.09
2001.12.09 新子安駅 MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1)
当たり前のように存在したものが、いつの間にか姿を消している。湘南色の直流急行形電車もそうだった。学生時代18きっぷを手に乗り飽 きるほど乗った大垣夜行、静岡方面からの帰りに偶然乗り合わせると嬉しかった夜行間合いの366Mなど、急行激減の時代の中、彼らの記憶 は常に身近な旅の思い出とともにあった。その一方で、廃止間際に高校をサボって新子安まで撮りに行ったHM付き「東海」は、いつもの 165系とは違うオーラを漂わせていて、ファインダー越しにこちらが緊張したものだった。
神領区の165系が全廃され、いよいよ湘南色の急行形も残り僅かになってきた2001年冬、田町の167系を使用した急行「伊豆」が運転された。 ちょうど会社の内定者研修で上京していた私は、渡に船とばかりに数年ぶりの新子安駅に出撃。始発電車で乗り込み、まだ暗いうちから仲 間数人とポールポジションにゲバを張った。果たして、通過直前にはホーム端は三重雛壇の激パニック。総勢20〜30名の鉄集団は、京浜東 北の発着の度に皆で一喜一憂し、無事「東海」の再来がファインダーに像を結ぶと、怪しげな雄叫びを周辺一帯に轟かせたのだった(一部誇 張あり)。
その後就職して横浜で数年間暮らした。菊名勤務のときには営業でこの近辺の高校を回ったりもした。だが、間もなく田町の167が引退して リバイバル列車が走る可能性は完全に消滅。これ以来、私は一度も新子安でゲバを据えていない。
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