Memorial GALLERY
2007.07.07
1999.07.07 大阪−新大阪 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 KR
8年前、大学2回生の梅雨時には忘れられない思い出がある。深夜のコンビニでレポートの資料か何かをコピーした帰り道、下宿の前の下 り坂で、自転車のライトを走りながら消そうと横着したのが全ての始まりだった。うっかり爪先を車輪に巻き込んでしまい、我が愛車は轟 音を響かせて27インチの前輪を中心に縦回転!私は自転車に背負い投げを食らった格好で、受身も取れぬまま左肘からボンバルディアの如 く胴体着陸!! それでも「打撲だったらほっときゃ治る」という家訓に従い、その晩は湿布を貼った程度で就寝した。しかし、何か痛いぞ?? 翌朝、学校に行く前に近所の病院で診察してもらったところ、「左肘骨折につき入院の上手術が必要」との診断が下されたのであった…。
手術自体は予定通り終わり、術部にはお婿に行けないくらいの大きな傷ができてしまったが、1週間で無事退院。左腕を吊りながらも、よ うやく我が家に帰還した。と、その夜、滋賀のロン隊長から突発の鉄電。曰く「明朝の飛行機で秋田へ行かへんか」とのこと。秋田っすか? どうやら隊長は間もなく廃止される男鹿線の貨物を、寒風山展望台から極めたいらしい。う〜行きたい!しかし…「我が左手は布で吊りつ つ」では如何ともしがたく、断念。すると、今度はGAKUJIN氏から「明日は舞鶴線オヤ検の返回が宮原まであるからどうか」とのお誘い。う ぐぐ、こうなったら行くしかねぇ!
勢いというのは怖いものである。翌朝、ハスキー1本、OM1台という軽装備で、無理矢理上淀の鉄橋へ出撃。七夕の朝は予報通り好天に 恵まれ、三角巾をたなびかせながら、アニキ金本よろしく右手1本気合いの撮影でDD51+オヤ+クル・クモルというゲテモノ編成を仕留めるこ とができた。
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